『孔子』 井上靖 著

本ブログでは何度か紹介している井上靖、今回はその有名な一作『孔子』を紹介します☆

先日紹介した横井小楠は特に朱子学に深く感ずるところがあったようですが、朱子学といい陽明学といい、もとはこの孔子に源流があります。

私自身、それほど詳しくはありませんが、今現在の幕末維新期の勉学に一つ区切りを見つけられた時には、改めて、今度は儒教・儒学の歴史にも深く入ってみたいなと思っているこのごろでもあります。

さて、この一冊では、孔子の架空の弟子「えんきょう」と名乗る人物の語りによって、大河が淡々と流れるがごとく、静かに、物語は進んでいきます。

自然、読んでいるうちに当時(紀元前)の中国の、孔子とその生きた時代の知識を学べてしまいます。

ここではあえて孔子の言葉は紹介しませんが、直近関東に大きな被害をもたらした二つの台風とその後の大雨の記憶も新しいためか、えんきょうの次の台詞をふと引用したくなってしまいました。

「疾風、迅雷、豪雨といったものは、天の怒りであると考えるのが、一番自然のようである。
天の怒りであるとするからには、人間は心を虚しうして、それに対さなければならない。
そういうわけで、自分はいつも居住を正し、心を素直にし、ひたすらその天の怒りの声に耳を傾け、その鎮まるのを待っている。
この顔回(がんかい)の解釈は正しいと言っていいのではないでしょうか。
それから今日まで、長い歳時に亘って、私も亦、暴風雨に対しては、いつも同じむかい方をしております。
子がそこに坐っていらっしゃる、いま自分はその背後に侍している、そのような思いになり、自然の雄叫びの中に小さい自分を曝し、天の怒りが荒れ狂い、そして少しずつ鎮まってゆくのを待つことにしております。
いずれにせよ、他の何ものにも替えることのできぬ、自分の心を洗いきよめる大切な時間になっております。」

科学的・非科学的云々という話をする以前に、私は思います。人間は結局、まだ自己と世界の深奥をほとんど知っていない段階なのではないか、と。

驕る心を捨て、離れ、ただただ、天の前に謙虚にありたいものです。

井上靖の筆致が、いつもの如く、淡々と、静かに私たちに語りかけてきます。

何かの機会にぜひページをめくってみてはいかがでしょうか。

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