『元帥 西郷従道伝』 西郷従宏 著

今回はかの西郷隆盛の弟、西郷従道を紹介する。

西郷従道の実績などについては、各自適宜Wikipediaなどを参照していただければわかると思うので、ここではそうした概要ではなく、実際に皆さんが本書を読んでみたいと思えるような、そうして何等か己の人格や見識に資するものを得たいと思ってもらえるような記事を書くことができればと思っている。

ところで、事前に一つ、名前について細かいが重要な点を書いておきたい。通常「つぐみち」とふりがなされていることが多いが、本書、従道のお孫さんにあたる従宏(じゅうこう)氏の以下の記述によると、本来は「じゅうどう」と読むようである。

「帝国憲法発布の時の英文の中で、従道をローマ字でツグミツ Tsugumitsu とよませているが、道はミチが正しいのはいうまでもない。世間ではツグミチと読む人が多いが、自分の子供を従理(じゅうり)・従徳(じゅうとく)・従義(じゅうぎ)・従志(じゅうし)・従親(じゅうしん)と命名しジウと呼んでいるから前述の太政官届出でわかるように、自分の名前もジウドウと呼んでいたはずである。繰返すと本名は隆興であったが、明治四年以降は従道になってしまったのである。」

私自身は今現在はどちらでも違和感はないが、聞く人に合わせて「じゅうどう」・「つぐみち」を使い分けたいと思いつつ、自らは「じゅうどう」と読むことにしている。

さて、一読して非常に興味深く感じた。特にその人柄・性格というところが大変面白い。ついつい苦笑してしまうような冗談のような話も多い。しかしながら、それでいて大いに器なのである。本書では様々な逸話や人柄をしのばせるものが大変多く掲載されているが、一つ、大隈重信が評したとされるものを引用してみよう。

「大隈重信がみた従道を次に述べるのであるが、大隈直接でなく、鳥谷部が大隈から聞き書きした文である。
『大隈侯、西郷侯を評して日く、西郷侯は猛将にも非ず、智将にもあらず、謀将にもあらず、天性の大将にして、将に将たるの器を有するものなり。
西郷侯は台湾征伐の外、曽て自から外征したることなく、山県公の如く軍政に功労あるにもあらず、山県公は軍政指導者として、陸軍編制者として吾邦に大功あり、然れども大将としては遠く西郷侯に及ばず。西郷侯の最も尊きところは、無邪気にして野心なきにあり、彼は人と功を争わず、名を当世に求めず、超然として得失利害の外に立つ、これ其器の偉大なる所以にして、実に世間稀に見る人物なり。
西郷侯は功名を求めざると共に、大事に臨んで驚くべき胆勇を現わすことあり。

西郷侯は無為無能なれども能く物を容る。恰(あたか)も貧乏徳利(びんぼうとっくり)の如し。貧乏徳利は酒も容るべく、酢も容みべく、醤油も容るべし、歴史上に寛仁大度の豪傑と称せらるる漢高祖も亦恐らくは貧乏徳利的の人物たらん。故に従道侯と漢高祖とは、共に同一模型の器なり。
西郷侯は渾然として圭角なく、滑稽にして愛婿あり、老人も喜び、婦人も喜ぶ、これ又貧乏徳利たる所以にして、外務大臣とならば最も妙なり。唯だ彼は自から用いるの才に非ずして、将に将たるの大将なり。』
以上は大隈侯の批評の大略である。」

本書では、兄隆盛の誠の人に比して弟従道はむしろ現実感覚のある人物であるような記述もあったりするがまさにそうしたものも感ぜられる一冊である。

以前に三条実美(さんじょうさねとみ)を紹介したが、個人的な感想であるが、三条の「徳の為政者」象をもう少し軽くユーモラスにしたような感じが従道、であるかもしれない。

ほかに、今、上の引用部分に「台湾征伐」の文字が見られたが、従道は台湾征伐の事務都督にも任ぜられ、自ら台湾に乗り込んでいる。

ちなみにこの「台湾征伐」は簡単に書けば、日本人が台湾に流され、台湾内でも当時清国の管轄外にあるとされた野蛮な民族にそれら日本人が無残にも殺害された(多数首をかられた)事件の報復として行われたものであるが、この「台湾征伐」における従道の立ち居振る舞いというものが、またひときわ胸を打つところがあるのである。

ここではその詳細は書ききれないが、興味のある方はぜひ本書に直接あたってみてもらいたい。当時、従道が、日本が、日本人が、外なる無礼にいかに立ち向かったかがわかり、当今北朝鮮や中国の脅しに毅然たる態度をとろうとしない日本と比べて、学ぶところ多くあるはずである。

最後に、こちらはやや余談であるが、以前当ブログで、私は、日清戦争開戦にあたり、大義名分がなかったところを無理に進めた陸奥宗光らの態度に非常に違和感を持ったことを書いたが、これに似たようなところで、本書の筆者従宏氏も同じ見方をしているところがあり、大変共感したため、その箇所もついでながら引用してみたい。

「征韓論を説明する前に、まず昭和の日本陸軍の崩壊原因を述べよう。日本陸軍将兵は純忠無比の精鋭であり、よく訓練され規律厳正、世界に冠たるものであったが、最期は物量に屈したというのも事実には違いない。しかし筆者は人智の及ばない天理に反いたからだと信じている。それは昭和のはじめに、関東軍が張作霖を鉄橋爆破で事故死に見せかけて暗殺し、昭和六年九月十八日に奉天で日本の計画発砲を支那軍の挑戦にすりかえて満洲事変を起し、爾来十数年支那人民を苦しめ、聖戦と称して支那大陸蹂躙政策を強行した。このようにして昭和の陸軍は陸士成績序列主義や陸大秀才教育によって事務的軍人を育ててしまったから、出世欲はあっても宗教・哲学の素養の乏しい将軍、参謀が続出してしまって、彼らの不充分な人智によって国の向うべき方向を誤ってしまった。

西郷隆盛は「敬天愛人」という言葉でも有名であるが、本書では西郷隆盛についても必然的に多く取り扱われている。したがって、隆盛を述べ、従道を述べようとすれば、自ずと「天」というものを意識の外に置くことはできない。

我々は、いついかなる時も、「天」を忘れてはなるまいと思う。

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